不登校は、子育ての希望の光か④

世界は、今、大きな変わり目にいます。

いえ、もうすでに30年ほど前から変化してきています。

 

ところが、学校教育はそれに全く対応できていません。

現在の学校教育は、勉強しても役に立たないのです。

 

それどころか害毒にさえなりかねません。

 

何故か?

 

これまでの学業優秀な生徒は、何が優秀だったのかと言えば、

論理的思考、計算能力、記憶力といったもので、

 

これらは、すべて左脳の能力と言われています。

 

右脳は、想像力、創造力、芸術、そして自然界からの情報受信に

優れています。危険察知脳力や、未来予知などにも優れています。

 

世界の技術が著しく進歩したこの30年は、

AI技術、スーパーコンピュータは、

左脳に置き換わってきています。

 

つまり、これまで学業優秀と言われてた能力は

無価値になったと言えるのです。

 

これからは、スパコン、量子コンピュータ、AIには

出来ない能力、つまり右脳の能力が重宝される時代になっているのです。

 

親が一生懸命、子どもに勉強しなさい、テストで良い点数をとりなさい、

と言っていることが、いかに滑稽なことかわかりますか?

 

一見すると、子どもがゲームばかりしていると、

遊んでばかりいて、勉強しないように見えるでしょ。

 

しかし、実際には、子どもは時代に必要なことを

ゲームを通して学んでいることになるのです。

 

この数十年の技術進化のスピードは、

1世代違う大人の脳が子供についていけないほどになったのです。

 

親は、おおらかになって、子どもを信じてください。

子供の邪魔をしてはいけないのです。

 

 

 

 

 

不登校は、子育ての希望の光か③

どう子育てに取り組めば良いのでしょう?

なぜ、不登校が希望の光となるのでしょう?

一緒に考えてまいりましょう。

 

子どもは親を喜ばせたい。笑顔になってもらいたい。

親は、子どもが勉強をすると機嫌がよくなり、遊んでいると機嫌が悪くなる。

親は成績が良いと機嫌が良い。成績が悪いと機嫌が悪い。

 

頑張っても、成績が良くならないと親の機嫌が悪くなる。

親を喜ばせられない自分はダメだ、自信が無くなり

学校に行けなくなります。

 

自分は親の邪魔だ、死んだ方がいい。親に嫌われる、死のう。

 

そんな風に子供は思ってしまうのです。

 

そして、教師も、学校も同じ態度でいます。

子どもには、学校も家も安心できない場になります。

 

しかし、しかしです。

親や学校が正しいなら、親の気持ちもわかりますが、

実態は、そうはなっていないのでした。

 

昔なら安心できた大企業は、35歳40歳で早期希望退職を

募る。

 

公務員は、やたらと世間から嫉妬、敵愾心に攻撃されて

少しでもやらかすと首に。

 

本当は、他にやりたいことがあった人。

親の勧めで、公務員になった人は、うつになったり、

我慢に我慢を重ねて、体調不良。

 

顔色はいつも悪く、常に不機嫌。

 

本人たちの犠牲のもとに、

親の安心が成立しているわけです。

 

これは悲劇であり、喜劇でもあります。

 

不登校によって、これらが明らかになりました。

 

では、どうしたら良いのか?

 

本人の内心にそって、生きれば良いのです。

 

子どもは親から見捨てられることを怖れずに

活き活きと生き切ればよろしい。

 

親は、おおらかに生きる。

親は子供を信じる。

 

親は子供が笑顔で生きてさえいてくれれば、

幸せではないですか?


なぜ、それ以上を求めるのでしょう?

・・つづく

 

 

 

不登校は、子育ての希望の光か?②

前回は、不登校の原因の一端を考察してみました。

今回は、大人にも増えている会社に行けない引きこもりの背景を

考察して、この社会の病巣に迫ってみたいと思います。

 

そして、これらの考察を通して、これからどう子育てをすれば良いのか、

探っていきたいと思います。

 

さて、真面目に親の期待にも、周りの期待にも応えて、

会社へ行った人は、さらに周りの期待に応えようと頑張ります。

 

管理職になり、重い荷物を背負うのです。

上手く行かない時は、自分を責めます。

 

どうして上手く行かない?頑張りが足りないんだ。

もっと頑張ろう。

 

何かがおかしいと心と身体の異変に気が付いた時は、
行かなきゃと思っても体が拒否する。

 

【 大人が会社に行けなくなる理由は? 】

※全ての理由ではありません。あくまで私見です。

 

では、その理由は何なのでしょう?

 

親や、周りの期待に応えて頑張ったのです。

みんなの喜ぶ顔が見たくて。

 

でも、本当は、みんなから愛してほしい、

嫌わないでほしい、という気持ちが働いているのです。

 

点数が悪いと、勉強をしないと、親が悲しい顔をする。

良い点数をとると、勉強すると親が喜ぶ。

 

だから、頑張るのです。

 

祖父母、友人、先生・・みんなの評価は

 

「真面目。」「頭がいい。」「頑張り屋さん」・・

 

だから、頑張って、頑張って・・それなのに、上手く行かないことが

出てきて、だから、もっと頑張って、頑張って・・

 

でも、上手く行かない。資格をとったら良いのでは?

セミナーにも行こう。もっと勉強しなくちゃ。

 

時間が足りない。睡眠時間が足りない。

 

もっと、もっと頑張らなきゃ。

 

やがて、心が折れる。

 

大人が会社に行けなくなる理由です。

 

結局のところ、常に他人軸だったのです。

 

本当は、自分がやりたいことが他にあったのに・・

それが何かも、今は思い出せない。

 

 

次回は、では、どう生きたら良いのでしょう?

どう子育てをしたら良いのでしょう?

 

それを一緒に考えてまいりたいと思います。

 

 

不登校は、子育ての希望の光か?①

弊社は、氣功療術院シンメトリーも運営しています。


数年前から不登校のご相談があったのですが、

パンデミック最中から、さらに相談が増えてきました。

 

成人のうつもパンデミック前から

2.2倍になったとの統計もあり、自殺も増えています。


従来であれば、これらは、マイナスの状況でしか

ありませんでした。

 

しかしながら、その真の原因を考えた場合、

現在のそれは、必ずしもマイナスとばかりは言えない状況でも

あると考えています。

 

【不登校、引きこもりの裏にある背景とは?】

結論は、現代の学校教育と家庭教育とが、現在から未来に対して

著しく遅れていて、そのことに本能で気づいている子供たちが

学校に行くことの意味を見出せずに、登校拒否している、という

側面があると思うからです。


現在ほど、子育てに悩む時代は無いかもしれません。

 

日本の大企業は、かつて高度成長時代の1960年代から1980年代後半までの

およそ30年間、憧れの的でした。

理由は、「終身雇用」、「年功序列」「定期昇給」です。

 

入社してしまえば、毎年、定期昇給と呼ばれる給与アップがあり、

しかもポスト、階級も上がっていき、定年まで勤めあげることができたからです。

 

中学生、高校生が聞けば、ウソだろ、そんな良い話なら、

何時間でも勉強する!塾にも行く!ゲームなんかやっている時間はない!

 

となるでしょう。実際、その時代は、その考え方で上手く行っていたのです。

 

ところが、バブル崩壊以降、こうした庶民の小さな幸せを成立させていた

成功法則の根底であった

「終身雇用」「年功序列」「正社員の定期昇給」は

「早期退職制度」「契約社員制度」「実力主義」へと変貌しました。

良い学校に入り、公務員、大企業へという成功法則は、

現代には無いのです。ゼロです。

 

国家公務員は、これは以前と変わらないように見えますが、

40歳で同期は一人を除いて、天下り。つまりお役御免。

 

天下りを3つ4つ繰り返して、退職金と年金でお金は

確保できるかもしれませんね。

 

しかし・・公務員は、(地方公務員も)何かしでかせば、すぐに首です。

 

そうして、やらかす人が後を絶ちませんよね?

 

せっかく、公務員になったのに、どうしてしょうもない犯罪を犯して

懲戒解雇になる人が後を絶たないのか?

 

その理由は、

成りたくも無いのに、「安定」しているからという理由で

成りたかった夢を早々に捨てて、就いたからではないでしょうか?

 

そのため、首になるようなことをしでかさなくても

うつになる公務員は、民間企業よりも多いのです。

 

では、こうした現況にあるにも関わらず、

学校教育は、現代及び未来に適合したものへと変貌したでしょうか?

 

ほんの一部にそうした試みは見られるものの、

大半は、従来のままではないでしょうか?

 

いえ、従来以上に、校則に厳しいところも多いように聞いています。

細かな決め事も多いようです。

 

ぼくが聞いたところでは、

 

小学校では

・机の上に、何をどこに置くのか、位置が決められている。

・挙手する際は、耳の横まで上げる。

小学校、中学校では

・宿題の量が多い。

小中高では、

・校則が厳しい。(これは昔から変わっていないかも)

 

つまり、管理が厳しくなって、つまらなさは増えていて、

しかも現代、未来の求められる人材教育は出来ていない。

 

こんな状況であれば、誰しも学校へは行く意味に疑問を持つのではないでしょうか?

なぜ、不登校、引きこもりに希望の光があるのか?

次回は、大人も会社に行きたくない理由を探ります。

 

合気道との出会い2

合気道を始めたのは31歳の時でした。

 

 

20代、30代、40代、50代、60代の

それぞれ異なる仕事、異なる背景を持った男女が

同じ趣味に興じるのは、とても楽しかったです。

 

しかも、合気道は、何だか全然、違うのです。

 

姿勢。

姿勢なんて、それまで考えたこともありませんでした。

 

歩き方。

歩き方だって、考えないですよね。

 

力を入れずに、抜く。

はあ?力を入れないと投げられないのでは?

 

筋トレはしない。

筋トレ必要無いの?わけわかんない。けど、少し嬉しい。

 

受け身。

かっこいい。でも少し怖い。

 

そして、技。

まるで、わかんない。何それ?何でそんな変な使い方するの?

 

構え。

えっ。構えないの?どうして?意味わかんない。

 

こりゃあ、ダメだ。今までの身体のあり方、使い方、全て違う。

 

産まれたばかりの赤ちゃんに戻らないと。

 

しかし、長年の癖がついているので、修正が大変でした。

 

もう毎日、朝起きてから寝るまで、合気道と氣の健康法のことしか

考えない日々が続きました。

 

呼吸法が大切と聞くと、15分でも、と言われましたが、

全然、身体の力が抜けないのです。

 

30分やると、最初の15分は力が入っているのですが、

後半の15分は力が抜ける。

 

毎日やっていくうちに、正座していると時間がとれないのですが、

他の事をやりながら、するようにしたら、

1日に4時間は出来るようになりました。

 

立ち姿勢が、わからない時は、一時、5時間立ちっぱなしの仕事を

夜中から朝まで、やったこともあります。

 

本当に、何であれほど一生懸命になれたのか

今でも、よくわかりません。

 

にしても、簡単には上達しないのです。

 

当時は、一番上の先生が、はるか雲の上にいらして、

しかし、姿は全く見えない状態。

 

ぼくは、下の海で溺れかけながら、手足をバタバタして、

どこかに掴まるところが無いか、足場を探している、

そんな気持ちでした。

 

だって、ぼくは、小学中学と体育はずっと2でしたから。

運動部にも入らず、何もしたことがなかったのですから、

本当に絶望的な気持ちでした。

 

よくあきらめずに、続けたものです。

それだけは褒められます。

 

きっと変わりたかったのです。

そして、子どもの頃の夢になんとか縋り付きたかったのです。

 

・・つづく。

 

 

真実を見極める眼力を養う

当会の合気道を通じて、真実を見極める眼力を手にする。
といったら、戸惑われるのではないでしょうか?

脳には、右脳と左脳があることはご存知だと思います。

現代教育は、左脳偏重主義です。


左脳は入力が文字、言葉で、

それを論理的思考で分析力に優れています。

 

ね、学校で優秀と判断される人ってこういう人ですよね。

右脳は、入力が五感、第六感で

直観、ひらめき、イメージすることに長けています。

 

ね、天然ちゃんて感じで、ちょっと浮いている感じしますよね。

世の中には、フェイク(嘘)が大量に蔓延していることに

気が付いていますか?

 

映画を見ているとわかると思いますが、

この数十年は映像技術が著しく進歩したため、

 

報道などで使われる映像もフェイクが大量に

使われるようになり、

何が真実なのか、わかりにくくなっているのです。

 

そこで大切な力が、真実を見抜く眼力なのですが、

左脳は、わりと騙されやすいのです。

 

それに対して右脳は、直観で、それがウソだ、真実だと

見抜く能力があるのです。

 

そして、これらの能力は、後天的に身に付けるものではなく、

先天的に(生まれながらに、生来)持っている能力なのです。

しかしながら、学校教育が左脳偏重教育なために、

せっかくの能力が、使わないためにさび付いているのが

現代人というわけです。

 

当会の合気道は、こうしたさびついてしまった大人の能力を

磨いて、元に復元していくための道具です。

 

小学校入学前のお子さんは、そのまま、さび付かないように

磨いて伸ばしていくことになりますね。

他流派の合気道も左右の身体を同じように使っていくので

ある程度は、右脳に刺激をいれられます。

 

ですが、右脳を意識していないで、行っているので

効果は極めて限定的です。

 

なぜなら、本当に学校教育や社会の在り方が、

大きく私たちの本来持つ能力を封印してしまっているからです。

 

当会の合気道では、右脳に刺激をいれることを意識的に

稽古方法に取り入れています。

 

この意識をしているかどうかが、大変に大きな差になって

現れていくのです。

 

そして、ただ意識して身体を左右同じように使うだけでも

右脳を復活させるには、圧倒的に不足していることがあります。

 

当会には、右脳を復活させる手法をもっています。

機会をみて、会員さんたちには、提供していく準備をしています。

右脳復活に、どうしても外せない要素が、この社会には抜け落ちていて、

これが無い事には、不可能と言っても良いほど危機的な状況が

現代なのです。

 

ほとんどの日本人は、気が付いていませんが。

 

 

合気道との出会い1

3歳くらいの時、外で近所の小学生と一緒に遊んでいて、

大切なビー玉を小学生に取られてしまい、

泣きながら家に帰ったことがありました。

 

休日だったのでしょう。父親が家にいて、

がん泣きしているぼくに
「男は泣いたらダメだ。負けて帰ってくるな」

と言われて、子供心に驚いて泣き止みました。

それからというもの、男は泣いてはいけない、

強くならなければならない、と自分に言い聞かせて

育ちました。

以来、強くなるというのが夢でしたが、

特に何も習うこともなく、会社員になり、

体力も落ちていました。

 

父親が退職を直前にガンを発症したことが

ショックで、10年務めた会社を辞めて、

合気道の先生が教えていた氣の健康法の学校に

行ったのです。

 

そして、ほぼ同時に合気道を始めたのです。

31歳の時でした。

 

それは氣の健康法の講師たちが、
ほとんど合気道もやっていましたので、

氣の健康法を上達するためにごく自然な行動でした。

ですが、心の奥に、かつての「強くなりたい」という

夢の燃えカスが残っていたのも事実でした。

健康法の授業の時に、
燃えカスに火がつく出来事があったのです。

その講師は、当時まだ始めてから年数も浅く、

合気道は1級だったと記憶しています。

 

講師が正座をして、横に立たせた男性生徒(40代)の

腕を上から下に2回なでて、3回目でスッと下に降ろしたのです。

 

そうしたら、その男性がストっとしたに崩れたのです。

 

えっ?

ぼくの表情を見て、講師がぼくを呼び、今度は

僕に同じことをしました。見事に下に崩れました。

 

 

それはそれまでの人生で味わったことの無い新鮮な体感でした。 

凄い力のように感じたのです。

 

ところが、力を抜いているというではありませんか。

燃えカスに火が付いた瞬間でした。

同期がお昼休みに相談していたのを聞きつけて

同期のみんなは、見学をしてから入会するか決めようと言っていたのですが、

 

ぼくが、面倒だから入会しちゃいましょうと、同じビルにあった事務所に行き

道着を購入して、その夜に道場に行ったのです。

 

本部道場のその日の先生も顔見知りの氣の健康法の別の講師でした。
狭い道場に、仕事帰りの大勢が集って稽古するのは楽しかったです。

 

しかし・・しばらく通っても、ちっともわからない。

半年もすると一緒に入会した同期も次々と来なくなり

とうとう僕だけになってしまいました。

 

実は、最初の半年間は、「氣」が自分の身体から出ていることを

まるで実感できずにいたのですが、

 

半年たった帰りの電車の中で、

あっ、これが氣に違いない!という体感をもてたのです。

 

それまでまるで上達しなかったのですが、それ以降、グンと上達したことが

わかりました。もちろん、上達と言ってもまだほんの少しでしたが。

 

この上達したという実感から、

「あー、武道というのは、こんな風に、まるで上達しない状態が

 一定期間続いた後に、あきらめずに頑張っていれば

 ポンと上達するものなのだ」

とわかったのです。

次の上達のポイントもそれから半年、合気道を始めてから

1年が経った頃でした。

 

こうして、僕の合気道人生がスタートしたのです。

 

つづく・・

 

当会の独特な指導方法

通常、武道のレッスンは、

一つ一つステップを登っていく方法をとります。

これを「向上の道」と呼びます。

 

これに対して、当会では、

最初から、達人の極意を教えてしまい
上から下にくだって身につけていきます。

これを「向下の道」と呼びます。

 

武道の世界では、禁忌とも言える指導方針です。

 

日本では、まず盗め。が大原則です。

世界でも、この教え方は、無いでしょう。

 

「これがわからないと、あれは出来ないからね。

だから一つ一つ掴んでいく向上の道しかないんだよ。」

 

しかし、この方法には最大の問題があります。

 

それは一つのステップを

それまで過ごしてきた日常で無意識に身に付けてきた

身体の在り方、使い方はそのままに、

技の型を覚えていくことです。

 

それまでの身体の在り方、使い方が正しければ、それでいいでしょう。

しかし、ほとんどの人が間違っているのです。

 

姿勢も、動きも、何もかも。

 

そのままで、一つ一つ進んで行くとどうなるか?

わからないまま、出来ないままで、

 

型だけを一通り覚えるだけで、

出来たような気になって終わることになるのです。

たとえ、指導者となって一般人はだませたとしても、本人はわかっています。

使いものにならないことを。

 

そこでジプシーのように、あちこちの流派を彷徨ったり

様々な格闘技、武道を渡り歩き、

しかし、どこまでいっても、この最初の問題を解決できないまま

人生を終えてしまうのです。

当会は最初に、極意を教えてしまうことにしたのです。

さらには、身体の在り方も教えてしまいます。

 

そして、極めつけは、「身体」に留まらず、

「心」の秘密についても教えてしまいます。

 

それでも、受け取る気持ちが無ければ

わからずに通り過ぎる人もいます。

 

しかし受け取る気持ちがありさえすれば、

達することは可能となる教え方です。


なぜなら、合気道でお伝えするのは

新たに外部のスキルを習得するのではなく、

 

人間なら誰でも生まれながらに在る能力を

(ただし、現代人はほとんど忘れている。)

掘り出して、磨いていくことだからです。

 

だから、誰でも出来る。出来て当たり前。


シンプルすぎて、こんなに簡単でいいのと思えるのに、

いったん身に付けてしまいさえすれば、すぐに出来るだけでなく、

どんなスポーツにも、楽器演奏にも、お仕事にも

どんなことにでも応用が可能になるのです。

 

 

武道と悟り

 

貴方は

武道、合気道で何を得たいですか?

 

「数年、合気道をやってたんだ。」

ちょっと格好いい。良いですよね。

 

「何かあっても動じない心になりたい」

これも良いですね。

 

「万一の為の護身術をいくつか身に着けたい。」

実用的で良いですね。

 

もちろんこうした動機で始められても何ら問題はありません。

 

僕から提案したいことは、「極めてみませんか?」

 

もったいないです。上記の理由でも良いけれど、

五十宮会を通じて得られるものは、そんな程度のものではありません。

 

仏教で「悟る」とは「空を掴む」ことです。

空とは、認識しているモノすべて、認識をしている五感すべてが

消えた状態です。

 

同時に、すべてと溶け合った状態です。

 

武道で行きつく境地。掴んでみませんか。

 

 

五十音を武道に反映する

こんにちは。

 

五十音を武道に反映する!

 

 

修行法の一つにある言葉を繰り返し唱える、というものが在ります。

 

この言葉の力によって、宇宙との統合、自らの心身の統合をはかり、

自らにハタラキを再現する、ということです。

 

こういう意味もありますよ。

 

ひだりとみぎ。

 

「ひ」だりは「火」

「み」ぎは、「水」

 

また、

 

「ひ」だりは、「霊(ひ)」

 ※ちなみに人は、霊止(ひと)であり、霊をとめておく者の意。

 

「み」ぎは、「身」

 

真逆の性質をもつ、火と水。

 

火は、すべてを焼き尽くし、上に立ち昇る。

水は、すべてを溶かし、下に落ちる。

 

この二つのことなる性質を併せ持つのが我々人間ということです。

 

どうですか?この火と水を武道に活かせそうな雰囲気、感じてもらえました?

 

霊と身。つまり心と身のこと。

 

身体だけ鍛えても、どうでしょう?

本番で、緊張で実力を発揮できなければ。

 

言葉で心身を創り上げていく。

現実社会に活かしていく。

それが五十宮会の特徴です。

 

 

 

 

五十宮(いそのみや)名称由来3

こんにちは。

 

実は、古代ギリシャにイソノミヤと呼ばれる都市があり、

支配する者が無く、支配される者もいない、縄文時代に似た

社会を作っていました。

 

五十宮には、この意味も含めています。

 

本当の平和を創るには、わが心の中を平穏にしなければ

実現できないと考えています。

 

そして、わが心に出来た平穏無事な波動が、波及して

この世から争いが無くなると本気で考えています。

 

何故なら、かつての縄文時代にそうした社会が少なくとも

一万年の間、続いていたことがわかっているからです。

 

かつて存在したのなら、今だって出来るハズです。

 

三回にわたり、五十宮会の名称由来について説明してきました。

 

では、理想はいいけど、五十音をどう武道に取り入れるのか、

もう少し概要を次回お伝えしたいと思います。

 

五十宮(いそのみや)名称由来2

こんにちは。

 

合気道五十宮会の名称由来の説明です。今回は2回目です。

 

日本の言語である五十音と武道の関係について

お伝えします。

 

武道の動きは、無駄な筋力をそぎ落とした自然の力を

我が身を通して、体現するものです。

 

一番、自然なモノは何か?

前回、お伝えしたようにハタラキなのです。

 

「あ~お腹が空いたな~」

 

どうしてお腹が空いたのでしょう?

命令しましたか?

命令しなくても体にハタラキが在るから、空いたのですよね。

 

「あー食べた、食べた」

 

食べた物はどうなりました?

口で咀嚼するまでは意識があるかもしれません。

胃に運ばれ、腸で吸収され、肛門から排出される。

 

これ命令しました?

命令しなくても、自ずとなるものをハタラキと呼び、

ご先祖さまは、このハタラキを神と呼んだのです。

 

このように、相手を投げられたり、相手の攻撃をさばけたら

良くないですか?命令しなくても、意識しなくても、そうなる。

 

これが五十宮会の目指す姿です。

 

しかし、ここまで説明したら、かえって謎が深まりましたよね?

なんとなくわかるような気がするけど、でも名称にまで

どうしてつけるのかな?と。

 

次回は、どうして名称にしたのか、

他にどんな意味があるのかを説明しますね。

 

 

 

五十宮(いそのみや)名称由来1

合気道五十宮(いそのみや)会の名称由来について。

 

五十宮とは伊勢神宮の内宮の別名です。

といっても、当会は、宗教ではありませんよ。

 

どうして2682年も神道が続いてこられたのか?

どうして日本国は、続いてこられたのか?

これまでに、何度も何度も国難を乗り越えてこられたのか?

 

日本を除けば、北欧デンマークが最古の王室ですが、

その長さは日本にはるかに及びません。

 

また、世界には創業100年を超える企業がありますが、

なんと世界の8割が日本企業です。

 

どうして、これだけ長く続けられるのでしょう?

 

その秘密が、五十音に在ると言ったら信じますか?

 

さて、本題に入っていきましょう。

日本語の五十音の一音一音には意味がありますね。

 

古神道(神社を持たない時代の神道)では、

一音一音が神であるととらえています。

 

日本の「神」とは、西洋のGodとは概念が異なります。

Godは、人格神であり、創造主であり、この宇宙を創造したという概念ですね。

 

これに対して、日本の神は、人格神のことではありません。

わかりやすいように、古事記、日本書記では、神々を人格神として描いているので

勘違いしている人が大半ですが。

 

では、神とは何か?神とは、ハタラキのことです。

たとえば、地球は、1日で1回転自転を行い、1年で太陽の周りを廻りますね。

 

これがハタラキです。カタカナで記述するのは、働きと感じで書いてしまうと

漢字についたイメージでとらえてしまうので、実体とかけ離れてしまうからです。

 

このハタラキが、一音一音に在ると考えているのです。

 

ハにはハのハタラキ。タにはタのハタラキ。

二音、三音とつながることで、いくつもの意味が重なり合うことになります。

 

こうした言語は珍しいのです。

 

なじみのあるアルファベットの一音一音は、それだけでは意味をなしません。

 

しかも、この五十音は、右側にアイウエオの母音。左側にワヰウヱオの半母音。

上の段に、カサタナハマヤラワの父韻が並び、

 

父韻と母音とで子音を生じます。

たとえば、キは、父韻「K」と母音「I」と一つになって「KI」を生じます。

 

これだけ整然と並ぶ言語は世界に7000とも言われる言語の中でも

唯一と言えます。

 

英語はどうですか?26文字に何か法則性はあるでしょうか?

無いのです。

 

戦後、英語を公用語にするという案が何度かのぼっていますが、

日本語は特別な言語です。この世から消すようなことをしてはいけません。

これをやると日本人は、事実上、この世界から消滅します。

 

ちなみに、漢字が伝承する前は、日本に文字は無かったとする

とんでも学説がありますが、完全な間違いです。

 

元々、音があったので、漢字を当てはめただけです。

 

この言語が、武道とどう関係するのか?

 

長くなってきたので、また次の機会に。

 

 

日本の大ピンチから武道と格闘技の違いを考える

現在、日本は、世界は、大きな大きなピンチに逢っていることに

気づかれていますか?

 

まず日本の現状を考えてみましょう。

 

日本人は、いま、いったい何を大切にして生きているのでしょう?

楽しく明るい心温かい日々を送っているでしょうか?

 

東京で電車に乗車することがあれば、「人」をよく観察してみてほしいのです。

 

電車が駅に留まり、ドアが開くと、我先に降りていき、

乗る人は、我先に席をとりに走る姿を見ることができるでしょう。

 

『そんなに元気なら立っていた方が身体にはいいのに。』

と心の中で思ってしまっていました。

 

ぼくは基本、電車内は立っています。1時間程度ですし、

乗っている時に、バランスをとる稽古になるからです。

ガラガラな時は座ることもありますが、それには理由があります。

 

だんだんと電車が混みあってきて座れない人が出てきます。

この人は疲れているな、高齢で足元がふらついているな、

妊婦さんだな、小さな子供を抱っこして大変そう、と思われる人がお近くに

立たれると、すぐに席を譲ります。そのために、座って席をとっておくのです。

 

何故なら、そういう人たちは、走って席をとるような事はできないからです。

 

走っている人には、似た特徴があります。

本当に、損得だけ、自分の事しか考えていません。

子どもを使って席をとらせたりもします。

 

文句を言っているのではありません。

どちらが楽しく、明るい気持ちになるかを問うているのです。

 

自分のことだけを考えている人は、基本的に不幸です。

 

いつもベクトルが自分に向いていて、

自分の不幸さに目が行くので、不平不満愚痴、泣き言が止まりません。

自分だけでなく、それを聞かせる相手も不幸にしてしまいます。

 

いつから日本はこんな状態になってしまったのでしょう?

 

日本の大企業がダメになり、政治家は自分のことしか考えず、官僚も組織と自分のことしか

考えないようになってしまったのは、(もちろん他の人のことも考える少数の人もいます)

なぜか?

 

家庭からも学校からも職場からも地域からも、笑顔が消え、笑声が消え、

代わりに暗い顔が増え、争う声が聞こえてくることが多くなっていませんか?

 

 

 

 

難しい話をしているのではないのです。

自分が幸せになるのは、実は簡単なことです。

 

ベクトルを他者に向けることです。

それも出来るだけ半径を広げられた方が、より幸せになります。

無理はしなくても良いのです。

 

自分より、自分の家族、家族より親族、地域社会、県、国、世界、宇宙・・

 

広げられれば広げられるほど、幸せになります。

 

武道と格闘技の違いは、武道とは愛の道なのです。

 

愛は相手に、他者に外へ外へとベクトルを広げ、

一旦、広げたベクトルを一気に自分の中心へと収束する。

 

収束したエネルギーを一気に外へと広げる。

 

真の武道の極意は、

 

宇宙は自分自身であり、自分は宇宙そのものであるを体得することです。

 

相手と接触してもぶつからずに、相手を導ける。

 

敵を倒すという格闘技の発想とは真逆です。

 

スピードとパワーを重視するのが格闘技。

 

愛と調和を重視するのが真の武道。

 

楽しく明るく心が温かくなる生き方と

ギスギスして、つまらなく暗く冷たく生きる生き方とどちらが良いでしょう?

 

答えは簡単ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筋力をつけようとしなくていい⁉②

前回からの続き。

 

「武道で強くなるには、よりパワーとスピードのある者が強いのだから

 筋力強化が絶対に必要だ!」

 

誰しも、この考えを信奉してきたのでは無いでしょうか?

 

そこで、本当にそうなのか?という視点で

前回は、柔道の三船久蔵十段のユーチューブ動画をご紹介しました。

まだご覧いただいていない方は、ご覧ください。

 

他の動画では、三船十段は、外国人相手にも自由組手を行っていますから

そちらも、ご覧ください。

 

さて、これらの動画をご覧になれば、上記の考え方が

本当に正しいのか?疑問が出るのではないでしょうか?

 

中には、こんなのはインチキだ、八百長だ、と思われる人も

いるでしょう。

 

そういう

自分の考え方と合わない話に耳を貸さない人とは

議論に値しませんので、悪しからず。

 

何も柔道だけでなく、ぼくはお会いしたことはありませんが、

友人の話では、沖縄空手の古老(もちろん見るからに普通のおじい様)の中に

ゆっくりした動きなのに、パキッと相手の骨を折れる方もいるらしいです。

 

これは本当にすごいことで、固定した板やレンガを割れる人は大勢いますが、

動いている空手家を相手に、そのようなことをやれる人はまずいません。

(全日本、全世界大会でもいません。)

 

では、

こうした常識ではありえないことが出来る人と

そうではない筋力重視の人たちの考え方の根本的な違いは何なのでしょう?

 

ぼくの答えは、

筋力重視、パワーとスピードを重視する人達は、

「自分は足りていない」と欠けている自分を前提にしている、と思うのです。

 

しかし、それに対して、三船十段も沖縄の古老の空手家も

そもそも「自分は、すでに満ち足りている」ということを前提にしている、と

思うのです。

 

 

「は?」何言っているのか意味不明。

そう思われたことでしょう。

 

我が心身統一合氣道の創始者 故・藤平光一先生は、

「人間は落ち着いているのが当たり前」

「人間は健康なのが当たり前」

「先生には出来る、だけど自分には出来ないかもと思っているから出来ない。」

と話されていました。

 

これらの前提は、「自分はすでに満ち足りている」だと思うのです。

 

私が合気道を始めた’95~4年間ほど、藤平先生の稽古に出ていたのですが、

白帯だった初めのころは、ぱっと一度、技を見せて、

「さあ、やってみよう」と言われて、『えっ今、何をやったの?』と

目が点になっていました。

 

そうして出来ないと近寄られて、大きな目で

 

「できない、と思っているからできないんだ。

 さあ、一言、出来ると言ってからやってごらん」と

よく言われたものです。

 

(それでも、心の底で自分自身を疑っていたので

 当時は全く出来ませんでした。)

 

この当時は、

先生方は、隠れて筋力強化トレーニングをしているのでは?と

疑い、色々な先生に探りをいれましたが、

どうも本当にやっていない、ことがわかりました(笑)

 

なので、僕は、それ以来、筋力強化トレーニングはやっていません。

(ぼくは、疑い深い性質でしたが、その考え方の根本は、

 やはり「自分は欠けている。足りない。」でした。)

 

「自分は足りていない」「欠けている」と思い込んでいるうちは、

どれだけトレーニングや稽古をしても

上達スピードは遅々たるものでした。

 

「すごいなー先生は。(でも、自分は、いつまでたっても・・)」と

思っていた僕でしたが、

あるときから、考え方が180度も360度も変わりました。

「すごいなー先生は。でも先生も同じ人間だよな。

 だったら、今は出来ないかもしれないけれど、

 ぼくにも、そのうち出来るハズだ。」

 

 

この考え方・・(つまり自分はすでに満ち足りている)が

出来るようになってからは、

苦痛から楽しみに代わり、上達が一気に早まりました。

 

 

いかがでしょうか?

 

ぼくは、高齢者(60代)の方や女性やお子さんに

我が合気道を学んでほしいと思っているのは、

 

みなさんに変われるチャンスがあると思っていて、

それなのに、諦めているのはもったいない。

 

せっかく同じ人間として生まれてきたのだから

あなたも、必ず変われる、と信じているからなのです。

 

どうか、ぼくにあなたの変身のお手伝いをさせてください。

 

 

 

 

 

 

筋力をつけようとしなくていい⁉①

筋力トレーニングは必須だと考えていませんか?

 

強くなるには、「パワーとスピード」をつけること。

そのためには、筋力トレーニングこそ最も大切。

 

より強い筋力を持つ外国人に日本人は勝てない。

より強い筋力を持っている若い人に年配者は勝てない。

 

 

この誤解を世界中の人に植え付けるのに貢献したのは、

1964年東京五輪 柔道無差別級で

ヘーシンクが日本人を破って金メダルをとった事実でしょう。

 

当時は、テレビが日本に急速に普及し始めた時でした。

柔道界だけでなく、広く日本人全体に激震が走ったハズです。

 

しかし、本当に強くなるには、筋力を鍛えることが大切なのでしょうか?

 

結論を出す前に

こちらのユーチューブを見ていただきたいのです。

https://www.youtube.com/watch?v=s9SFpOkkGoE

 

講道館柔道の三船久蔵十段が六段から八段までの高段者・連続8名を相手に

およそ5分間、入れ替わり立ち代わり、自由組手をこなしています。

 

小さなご老人が、自分よりも若く筋力が上に見える相手、

それもことごとく高段者を相手に組手を行っています。

 

注目すべき点は、

・5分間もの間、連続して行っているにも関わらず、息が乱れていないこと。

・最初は、相手に好きなだけ技をかけさせて、それを体さばきでこなしていること。

・技をかけると決めてから、技をかけるまで、まるで迷いが無いこと、

 しかも、いずれも一回で一本を決めていること。

・これら受け投げ全てを通じて、無駄な力が一切、入っていないこと。

・過去から現在まで、柔道家の中に、こうした動きを継承していると

 思われる人は一人も存在していないこと。

 むしろ真逆の方向に向かっているように思えること。

 

では、三船十段が、筋力を鍛える以外に、何を重視していたのでしょう?

三船十段と普通の高段者との考え方の違いは何だったのでしょう?

三船十段と、現在まで続く「筋力強化は絶対に必要」との考え方の違いは

何なのでしょう?

 

この質問に対する答えがわからない限り、

武道をやっていることは、単に自己満足にしかならず、

(したがって、真の意味で私たちが変貌することは出来ないでしょう。)

武道を通じて、得られる最も大切な境地に至ることは無いと考えています。

 

では、その答えとは何か?

次回は、それをお伝えします。

 

 

 

 

 

運動オンチの人におススメな理由

ちょくちょく質問されます。

【 質 問 】

「私、運動経験が無いのですが、合気道できますか?」

「私、運動オンチなのですが、大丈夫でしょうか?」

 

【 答 え 】

『歩けて、腕を上げ下げできれば、大丈夫です。』

 

【 解 説 】

 

子供のころから、運動神経が良くて

スポーツは何でも得意、という人がいる一方、

 

何をやっても人よりダメで、上手にやれたためしがない。

そういう人もいますね。

 

では、どうして、運動オンチ、運動神経が良い、という

生来の違いがあるのか、ご存知ですか?

 

遺伝?

 

一流のアスリートのお子さんが、そうでもなかったり、

普通の人から一流アスリートが生まれたりしますよね。

 

きょうだい共に、すごい方たちもいますが、

そうではない例にも枚挙にいとまがありません。

 

したがって、答えは遺伝ではありません。

 

第一、遺伝というなら、もう合気道でも何でも救えませんよね。

 

 

では、何か?

 

まず運動神経が良い人には

次のような特徴があります。

 

1、筋肉バランスが整っている

2.体の在り方が優れている。

3.体の使い方がすぐれている。

 

 

運動オンチの方は、つまり、どうして運動オンチなのかといえば

1.筋肉バランスが悪い、

2.体の在り方がダメ。

3.体の使い方がダメ。

 

のです。

 

2については、遺伝ではありませんが、

同居する親(家族)の体の使い方を脳同士が共振共鳴する形で

いわば家族のソフトを子供がダウンロードして

受け継がれます。

 

同居していなくても

一緒にいる時間が長い人からダウンロードする機能が

脳にはあります。

 

なので、良い師匠を選ぶことが最も重要なのです。

(体を学ぶことについては、オンラインでは難しいのも

 これが理由。)

 

【 合気道五十宮会と他の武道との決定的な違い 】

 

当会の合気道は、

この上記2点を最初から身に着けることが

あらゆるカリキュラムの土台として在り、

この習得する方法を最初から伝えていきます。

 

運動オンチの方であっても

これらを学ぶことで、

様変わりしていく、というわけで

 

かえって運動オンチの人のほうが

喜びも大きいのです。

 

人間の場合、

ダウンロードされたソフトをアンインストールすることは

たやすくは出来ません。

 

しかし、新たなソフトをダウンロードして

使い込んでいくと、自然に、上書きされて行って、

結果、以前のソフトは消えていくという仕組みです。

 

上書き保存されていくと運動オンチにとって何が良いか?

つまり、下記になってくることで得られるメリット。

1、筋肉バランスが整ってくる

2、体の在り方が良くなる。

2、体の使い方が正しくなってくる。

1.筋肉バランスが整うことで得られるメリット

 

まず、健康に良い、のです。
健康? はい、病気とは、正常に体の機能が働いていないことを言います。
で、正常に働かなくなる原因は。筋肉バランスが乱れる、からなのです。


そして、元々運動神経が良い人も、その理由を知らない、

知っていても、整える方法を知らないので、

 

無理な使い方をして故障をしていくと

そのまま健康を害していきます。

 

ところが、最初は、運動オンチで筋肉バランスが悪かった人が、

整える方法を知って、整えていくのだから、乱れても修正できるし、

他者にも指導することができるようになるのです。

 

2.3.体の在り方、体の使い方が正しくなることで得られるメリット

他のことをやるときに、全てに応用できることです。

これは、他の武道、スポーツでは得られないメリットでもあります。

 

野球が上手でもバスケットは苦手とか、普通にありますよね。

 

しかし、技術を学ぶのではなく、身体の在り方をそのものが

良く変わるので、あらゆることに応用できるのです。

特に2は、土台を変えるということですね。

 

 

 

 

 

護身術では守れない⁉

合気道と言えば、護身術。護身術と言えば、合気道。

 

で、護身術って何? ウイキペディアを引用します。

 

・・・・・・・・・・・・・・

『護身術(ごしんじゅつ)とは、
周囲の犯罪や災害などから自分や他人の生命・身体を守るための知識や技術、方法などの総称。
広義には危険に近づかない知識や技術なども含まれるが、
狭義では暴漢撃退法のみを指す。』
ということです。(引用終わり)
・・・・・・・・・・・・・・
 護身術は、相手が、こう攻めてきたら、こう対処する。
というモノです。
 護身術の問題点は、
1.相手が想定していない攻め方をしてきた場合、
  どう対処するのか?出来るのか?
  未知な攻め方への考え方が示せてないことです。
2.相手が想定している攻め方をしてきた場合であっても、
  稽古どおりに体が動くかどうか?
  緊迫した場面で、落ち着いて行動できるか?
 
結論から言えば、難しいでしょう。
付け焼刃はケガの元です。
「心身統一合氣道」は、
心身を統一する方法を具体的に学ぶことで
上記1、2をクリアします。
 
 
 

他の合気道、武道、格闘技との違い

当会の合気道の特徴は、「心と身体を統合して」
合気道を行う、ことにあります。

 

「なにそれ?」と思いました?

 

では、今から1分間じっとされて、頭の中の言葉に注目してください。

いかがです?言葉が次から次に出てきますよね?

 

では、1分間時間を測って、何も考えないように

言葉を止めてください。どうぞ。

 

いかがですか?止まりませんよね?

 

私たち現代人は、放っておくと

このように思考が止まらない状態になっているのですが、

 

思考にはエネルギーを消費しています。

 

いくら栄養バランスを考えて、食事をとっていようが、

睡眠をしっかりとろうが、運動を規則的にしようが、

 

エネルギーを散逸しっぱなしなのです。

これが、心と身体が分離している状態です。

 

あなたが、今出来る最高の正拳突き、パンチを相手に放つとしましょう。

 

そのとき、思考を止められていますか?

 

試合中にも、いろんなことを考えてるのでは?

 

「だって、それが当たり前なんじゃないの?

いろいろとその時に感じたことを考えて、組み立てて攻めたり守ったり

するのが、当たり前でしょ?誰でもやっているハズだけど。」

 

では、こんな事を聞いたことありませんか?

 

気が付いたら、身体が自然と動いて・・相手が倒れていた。

周りの応援も良く聴こえていたし、みんなの表情もよくわかった。

でも、思考は・・何も考えていなかった。

 

いわゆるゾーンに入っている状態です。

 

思考すれば、体の動きは硬くなりませんか?

 

心と身体を統合するとは、思考、妄想、様々なエネルギーを

集約している状態です。

 

この状態にいつでも入れたら、どうですか?

ゾーンに入れるのをコントロールできたらよくないですか?

 

それが他の武道、格闘技とまったく違うことのいくつも有る中の一つです。

 

 

 

 

 

そもそも合気道って何②?

「武道」が好きな人の願望は「強くなりたい」ですよね。
それで空手やボクシングや各種格闘技をやるわけですよね。

 

ところが、心身統一合氣道をやろうとする人は、

そういう人だけではないのです。

 

たとえば経営者が、事業を良くしたいと考えて、

たとえば♪演奏家が、良い音楽を奏でたいと考えて、

たとえばプロ・アスリートがもっと良くなりたいと考えて、

心身統一合氣道をする方が、本当に多いのです。

 

どうして?

 

「心身統一」にヒントがあります。

 

それは何?

 

心と体を一つにする、ということです。

 

心と体を一つにして、合気道を行う、

心と体を一つにして事業を行う、

心と体を一つにして音楽をする、

心と体を一つにしてスポーツをする、

 

ということです。

 

心と体を一つにするとどうなるのでしょう?

 

安定して良いパフォーマンスができる、のです。

 

では、また。

 

 

 

 

そもそも合気道って何?①

合気道?柔道みたいなやつ?少林寺みたいなものですか?

剣とかも使うのですね?棒みたいなものも使うのですね?


よく聞かれる質問です。

いずれも答えはイエスであり、ノーです。

 

これら全てを含んでいるからです。

 

合気道は、日本で誕生した最も新しい近代武道です。

柔道、柔術、古武術、空手、剣道などなどのエッセンスを

まとめ上げた合理的なものです。

 

で、どうして、その合気道をアスリートや芸術家、経営者、

俳優、音楽家などが学ぶの?

 

もちろん、こうした各界の方たちは、ご自身の世界を

極めたいから、合気道を学ぶのです。

こうしたことを極めるために、柔道を始めたとか、

空手を始めたとか、剣道を始めたとかは聞きません。

どうして、合気道では、学べるのでしょう?

 

合気道は、したがってこれらの武道の持つ、

無駄をそぎ落として、本質だけを取り出したモノだからです。

 

もう一つの大きな理由は、

60代の方でも怪我することなく

自分の体力に合わせて出来るからです。

 

空手や柔道は、10代20代から20年、30年もやっている人が

若い人と稽古や試合をして大怪我をすることもあると聞きます。

 

どうして、合気道ではそういうことが無い(少ない)のでしょう?

 

合理的だからです。

合理的の反対が「無理」ですよね。

無理とは、理に合わないことです。

理に合わなければ怪我をする確率が高まります。

 

ふーーむ。わかったようなわからないような。

 

でも、どうして、合気道をやって、他の世界の人にとって

良いことがあるのかな?具体的に教えてほしいのですけど。

 

・・・つづく

 

 

 

合氣道が人生に果たす役割とは?

こんにちは。

人間は、体だけで構成されていません。

心もありますが、それだけでもありません。

その上を掴み、理解する入口として、

まずは、体で感覚を得て、心をコントロールして、

それぞれの個性、役割をとらえることが必要になります。

合氣道は、この双方を掴むために、

大変、便利で重要なツールと言えます。

世の中では、体(筋肉)の強化方法と

メンタル・トレーニングは、それぞれ別に行います。

が、合氣道では体と心を別々に認識しつつ、

一緒に使うことが出来ます。

そして、しばらくすると心とは何か?身体とは何か?が

分かり始め、それを超えた何かを考えることが

出来るようになってきます。

せっかく、人間としてこの世に生まれたのですから

このことを多くの方に知っていただき、

もっと人生の楽しみを

深めてほしいな、と考えています。

あまり深く書けませんので

お聴きしたい人は、ご参加くださいませ。

悪しからず。

 

 

今年のテーマ

今年テーマをあらためて書いておきます。


1.真直ぐに立つ。真直ぐに座る。
2.体重移動
3.リズム&技

今回はまず

「1.真直ぐに立つ。真直ぐに座る。」を解説しますね。

 

 プロスポーツの一流アスリートも含めて、

 真直ぐに立てていないプレーヤーがほとんどです。

 

 あなたが真直ぐに立てているか確認してみましょう。

 

 できれば可動式の鏡と背後に垂線のある壁を利用し、

 垂線を自分の中心にセットして(かかととかかとの中心に垂線がくるよう立つ)

 全身を鏡に映して見てください。

 

 左右いずれかに頭がわずかにズレていることがわかるでしょう?

 両肩の高さもどちらが上がっているか確認してみてください。

 首の付け根から肩の先端までの長さも比べてみてください。

 短い方が、いわゆる肩がより凝っている側になります。

 

 ほんのわずか。もしかしたら1mm、2mmかもしれませんね。

 

 しかし、たとえば、野球やゴルフ、テニスなどボールを体の回転で打つスポーツ。
 真直ぐに立てていなければ、回転軸もわずかにブレる可能性が高まるのは

 当然ですね。

 

 また、とらえたいボールの位置がわずかにズレているとしたら

 結果には、大きな差が出ることは、プロのアスリートであれば、だれでも体験していることですね。

 

 なぜ、真直ぐに立てないのか?

 

 脳がわずかにズレている状態を真直ぐと認識しているからです。

 

 脳の誤差がある状態では、どのようなスポーツ、武道も成立しないのです。

 

 さらに真直ぐに立てていない状態で、ずっと練習、試合をこなしていくと

 体のどこかに無理な力が加わった状態で運動をすることになるので、

 故障する可能性が高くなります。

 

 故障してしまうと、故障した箇所の筋肉が収縮したままの状態になり、

 歪みが大きくなり、さらに故障するリスクが高まります。

 

 したがって、ハイパフォーマンスを可能にして、かつ故障しにくい身体を

 造るってくためにも真直ぐに立つことが最重要テーマとなるのです。

 

 次回は、テーマ2.体重移動です。

 

 

 

 

2016年を振り返って

今年1年も残り1回の稽古となりました。
年間約40回の稽古回数で、1か月3.3回平均です。

 

心身統一合氣道は、正しい姿勢や動作を身につけることを

徹底的に行っていきます。

立ち方から

握り方、歩き方、座り方・・

一挙手一投足、何から何まで正しいものに変えていきます。

といってもリラックスが最も大切と言っているわけで、

愉しい雰囲気で行っていきます。

年間にたった40回程度で、これまで数十年無意識、無自覚に

行ってきた姿勢、動作を変えるのですから、

相当に難しく感じるハズです。

しかし、自分を作り替えていくような作業は、

大変に楽しく、1年経ったときの成長した自分に出会うことを

愉しみにおこなっていくわけです。

しかも、孤独な作業ではなく、

仲間と共に、あーでもない、こーでもないと

やりあいながら作り上げていき、

 

少しでも出来たら、今の良かったねー、もう一回、

などとやっているのですから、

 

大人にとっては、これほど贅沢な時間は無いわけです。

というわけで、ぼくも今年10月で合気道歴丸21年を迎えました。
飽きません。正直、これほど面白いモノとは始める前は思いませんでした。

人様に教えるというよりも、

ぼくの場合、釧路に帰ってきて、一緒に合気道をやってくれる仲間を作るために、

合氣道の面白さ、奥深さを一緒に感じあい、求めあう道友を作るために、

2012年4月に開室したのでした。

来年も一つ一つ成長をとげていく楽しさを感じながら
続けていければなと考えております。

合氣道に感謝!仲間に感謝!師に感謝!道場に感謝!釧路に感謝!

体に感謝!心に感謝!魂に感謝!親に感謝!ご先祖様に感謝!

・・宇宙全ての存在に感謝!

 

 

合気道の楽しさ

今、合気道教室に来ているAさんは、当教室の最高齢71歳。
当教室に通われて丸4年。

最近になって知ったのですが、小学生から
ドクターストップで体育の時間は全て見学、
なんと、体育、スポーツを一切、経験せずに
この年令で合気道を始めたのです!

最初は、身体が硬かったのですが、

少しづつ、身体も柔らかくなってきました。

いったい、何が楽しくて続けているのでしょう?

なんとなく、発言を聞いていますと
「これから、時代劇を観るのが愉しみ!」
「先日、梯子から落ちたのですけど、受け身のお蔭で怪我をしませんでした」
「除雪を5時間以上していたのに、全く疲れませんでした」

などなど、驚きの発言。

奥様も
「昔は、怒りっぽかったのが、合気道を始めてからは柔和になりました。」
「姿勢が良くなって、若返りました。」

いやいや、その取り組まれる姿勢から
こちらが刺激を受けているのです。

楽しいですね、合気道。


 

心は成長するのか?

合気道を志される人の目的の一つに「心を成長させたい」との想いがあります。

【心は、そもそも成長するものなのでしょうか?】
実は、心は生まれながらに固定していて成長しない、とする考え方と
心は成長するものだ、とする考え方に大きく真っ二つに分かれるのです。

前者は、心が広い人は、生まれながらに優れていて、努力する必要はない、
反対に、生まれながらに心が狭い人は、努力しても無駄と考えます。

後者は、どの人間も、根源的に成長したいとの願いを持っており、
事実、成長するのだ、と考えます。

ぼくは、後者を信じています。
僕自身、何もわかっていなかった20代前半までは、自分中心の

エゴ丸出しの人間でした。

20代後半になって、ようやく人間とは何か?自分は何のために生まれてきたのか?と
思索するようになります。

30代は、産みの苦しみの時代でした。合気道に出会い、主に身体の力を抜くことに

集中していました。

 

40代半ば過ぎから、身体に加えて、心を変化させることに重点を置けるようになってきました。

 

50代の今は、
感情が大きく動いた時に、

そして、小さな心のつぶやきに耳を傾けて、

それを具体的な心の変化に役立て、

ようやく「心はやはり成長するのだ」と確信するに至りました。

【心が成長するとしたなら、目に見えない心を何で測定するのでしょう?】
それは、同様なデキゴトに対する我が心の反応で、測定できます。

たとえば、激しくののしられたとしましょう。

たとえば、予想外の大事件が我が身に起ったとしましょう。


そのときに、実際どう自分が反応したのか?

何気ない出来事に対して、
我慢するのではなく、自然にそうなっていた、とき、
私たちは自身の成長を知ることになるのではないでしょうか。

【 合気道が心の成長に果たす役割 】
合気道は、相手と対することを通して、自らの体と心と向き合うモノです。

自分の身体の力が抜ければ、明らかに技のかかりが変わります。
自分の心の在り方が変われば、さらに明らかに変わります。

それは、明確に観えない心を観るのに役立ちます。

他のスポーツも仕事も、そうしたことはありますが、

合氣道ほど明確なモノは無いのではないか、と思います。

ぼく自身は、31歳で初めて、丸20年。

さらに興味が湧いています。
日々、自身と向き合い、己の心身を磨ける砥石として使っています。

おそらく死ぬまで、ぼくのライフワークとなるでしょう。
1年後2年後の自分に出会うのが楽しみです。

が、人はそれぞれ異なる経験、感性をもっていますから、
あなたやお子さんが、合気道に出会ったからといって
同様の心境になれるかどうかは、ぼくにもわかりません。

ただ、言えることは、
取り組む時には、合気道を通じて、どう自分を変えたいのか、
明確な目的意識を持っていただきたい、
そうすれば、あなた(やお子さんの)の人生の為に
なるであろうと信じています。

人生の達人は、「嫌い」を「感謝」に変えられる人

・合気道は、決まった技を互いに行いあうものです。
 決まった技なのに、上手にかからないのは、正しく行えていないからです。

 つまり自分が未熟なことが上手くいかない原因です。

ところが、つい「相手が意地悪をしている」と考えてしまう人が多いものです。

そうして、互いに相手を嫌いになってしまいます。
人と人が互いに行うことで、嫌いになったら上手くいきそうですか?

そのとおりですね。余計に上手くいかなくなります。

上手くいかない→相手のせい→相手が嫌い→もっと上手くいかなくなる→相手がますます嫌いになる・・・

負の連鎖。悪循環です。

こうしたことは、日々の生活においても出てきますよね。

したがって、合気道は、日々の生活態度、考え方が適切かどうかを

確認する場と言えます。

物事がうまくいかない場合、その前の工程、考え方に問題があることが多いものです。
さきほどの合気道の稽古を例に上手くいく方法を考えてみましょう。

上手くいかない→「相手のせい」と考えるのが誤りではないか?と考え直してみます。

1.上手くいかないのは、正しい方法を知らないからだ、と考えて
 ①上手に行える人をよく観察します。
 ②上手くいっていない人もよく観察します。または自分の動きと比べます。

 ③その違いを見つけます。

 ④その違いを自分で試してみます。
 ⑤上手くいけばOK.行かなければ、①②を繰り返します。

 2.上手く行かないのは、正しい方法は知っているものの、まだ身についていないからだ、と考えて

 体になじむまで、繰り返し稽古します。

たいがいは、この2つで上手くいくはずです。

さて、さて、この「上手くいかない」があったからこそ、
改善できるきっかけをいただけたわけですね。

ということは、そのなんて意地悪な!と思ってしまった相手こそは

実は、感謝できる人と言えないでしょうか。

日本人の中には、人間関係を重視する方が非常に多いですね。

こうした方々は、相手に嫌われたくない、人間関係を損ないたくない、との

想いから、技が出来てもいないのに、出来ているかのようのお付き合いしてくれる人が

多いのです。

こういう人は、「良い人」と思われることでしょうね。

しかし、実際には、周りにこういう「良い人」ばかりだと

成長する機会を失うのです。

お子さんが、学校の友達に嫌なことをされた、先生にこんなことを言われた、
などと言われたときに、一緒になって腹を立て、抗議する親がいますが、

そんなときこそ、わが子の成長の機会ととらえて、

言って聞かせてみてはいかがでしょうか。

そうした人間形成の態度が、
将来、自分を救うことになります。

大人になった子供に苦しめられている親は、
大勢います。

子供の時に、修正することをしてこなかった

自分の責任なのですね。

 

 

親の心、子の心

近年、お子さんの自閉症、ADHD,発達障害の事をよく目に、

耳にするようになりました。

原因が先天性や薬害、環境汚染であるなら

ぼくが論じることではありませんが、

原因が「心」ではないか、と
思えるケースもあるので、
触れておきたいと思います。

親(同居家族》の心の状態と

お子さんの心の状態はリンクしています。

ということは、
親の心も円くて穏やかな状態では
無いと考えられます。

といいますのは、

ぼくが、運営しています氣功療術院シンメトリーには
未就学児~高校、大学生をおもちのお母さんが

多く来院されるのですが・・


心配症な方のお子さんが、

そうした症状になっていることが多く、


最初は、偶然と思っていましたが、

あまりに多くの方に似たお子さんの悩みがあることから

これは偶然ではないな、と思ったしだいです。

「いやーうちの子は、・・・・・それが心配で・・」と
おっしゃるのですが、

ぼくもよく知っているそのお子さんよりも
むしろ問題かな、と思えるお子さんの親は
まったく平気だったりします。

つまり親の受け止め方の問題が
大きいのでは?と思えるのです。

成長の一時期に他人のお子さんと比べて
やや、成長が遅いと言われると、


(または勝手にそう思い込んだりすると)
もう心配で、心配で仕方ないわけです。

先日もシンメトリーにそうした心配性の
お母さんがお子さんのことで相談しにこられました。

一通り、お話をおききした上で,


「もしかしたらですが、問題は、お母さんかお父さんの心配症にあるかも
しれませんよ。思い当たりませんか?」


とお尋ねすると

「そうなんです、私、心配性で・・
でも、一度も心配したことが現実になったことが
ないんです・・」

と言われる。

お子さんに施術をと相談しにこられたのですが、
結局、ご本人が通われることになったのです。

一度、思い当たる方は、冷静になって、
周りの同世代のママたち、パパ達の様子を
ようくご覧になっていただきたいのです。

「あれ?どうしてこの親は、心配していないんだろ?」
「あれれ?この親も、どうして心配しないんだろ?」

ということがよくありませんか。


そうした親に愛情が不足と思ったり、
または自分が心配症なのかも?と
思ったりしたことがあるかもしれません。

すると、自分がいかに
『根拠なく』心配していたことがわかるハズです。

だいたい、あなた自身は、今まで
こうして無事に生きてこられましたよね。

いろんなことがあるのは、
みんな同じです。

でも、こうして生きている間は、

「大丈夫」なんです。


人間は生きている間は、

大丈夫にできているんです。


これまで心配、心配と思ってきたでしょが、
空気の酸素が、今年は減ったなー、息苦しい、なんて
ことは起きたことがないはずですが

いかがでしょうか?

それで、肝心なことは
もし「死」を恐れているんだとしたら、
恐れることは何一つないんです。

あなたは生まれる直前のことはどうでしょう?
お腹の中に生まれる直前のことですよ。

ほとんどの人は覚えていません。
覚えている人もいますが、

特にどうってことはないんです。

死ぬってことは、
その状態になるってことです。

何でもないんです。
何でもないどころか、自殺でない限りは、
とても幸福なんです。

本木雅弘さん主演のアカデミー賞受賞作の
映画「おくりびと」ご存知ですか?

あの原作を読んだことがあるんですけどね。
書いた方は、納棺師=「おくりびと」なんです。

その原作に、正確ではないですけど、
このような記述があるんです。

『亡くなる人の80%は実に良い表情で、亡くなっている。
生きている時に、善人だったとか、悪人だったとか、
偉い人だったとか、普通の人だったとか、
そういうのと全く関係なく80%の人は
幸福な実に、幸福な表情で亡くなっている』

自殺やこの世に執着(未練)を残して亡くなる方以外
「死」は幸福なのです。

「死」が幸せで、「生きている間は、大丈夫」なら
何を心配するって言うんです?

それで、どうでしょう?
心配している間、心は幸せですか?
辛いですよね。

性分だから仕方ないと
あきらめないでください。
周りが迷惑しているんですから。

で、どうしたらいいかといえばですね、

心配の妄想が始まったらですね

あーはじまったな・・と思って
下手に考えるのは止めて、
明日の朝に考えようって思うんです。

そうして、朝を迎えたら、
忙しいでしょ(笑)
考えてられないでしょ。

どうして親が子供の心配しちゃあいけないんだって
威張る人がいるんだけど、

心配っていうのは、

信じていないってことでしょう?

わかります?

信じるのが愛なの。

親が信じてあげなくて
誰がその子のことを信じるの?

心配性になったのは、
あなたが悪いわけじゃないの。


あなたの親か祖父母かに

そういう心配性の人がいたでしょ?

心もね、伝染るんですよ。
共振共鳴ってわかります?

音叉って言って、
こちらの金属をポーンと鳴らすと
離れている金属も鳴るっていうアレのことね。

それと似た機能が人間の脳にもあるんです。

だから、親の心が『子供が心配、心配って鳴っているとね
子供の心は、『自分が心配、心配』って鳴ってね、
自信がもてなくて、不安で不安で仕方なくなるの。

あなたの心配が
子供の病気を作っているの。


威張っている場合じゃあ、ないんだって。
しっかりしなよ。

子供を信じるには、

親には覚悟が必要だよ。

精神科の専門医が何と言ったって、
学校の先生が何と言ったって、
世界中の全員が敵になったって、

子供を信じて守る、という覚悟がね。

そのためにはね、
「自分を信じる」ことから
始めるのがいいの。

次は、その話をしますね。

心は強くできるの?

「心を強くしたい」「弱い心を変えたい」「変わりたい」
そう願う人は、少なくない。

あなたも、そうかもしれませんね。

合気道をやると心は強くなるのだろうか?

始めて間もない人に、
「合気道をやってみて、よかったですか?」と聞いてみる。

『はい、良かったです。』


「何が良かったのですか?」

『体だけでなく、心のことも教えてくれるからです。』

それでは、目に見えない心をどうやって鍛えるのでしょう?

⇒強くするには、古来、厳しい修行をしなければならない。

「ええーーっ、私には無理。できない!」

そうですね。それでは

厳しい修行に耐えられる少人数の人しかできない
ことになります。

⇒誰でも、心を強くすることは可能です!

【 心を強くする方法 】
1.心を見える化する。

2.見えるようになった現在の心の状態を確認する。

3.様々に試してみて、強くなったかどうかを確認する。

※「様々に試す」が、合気道ではすでに答えがあるので、
 それをお伝えして、試していただきます。

では、次回、具体的に方法を見ていきましょう。

成長を信じてーー氣長ーーーーに待つ

子供ってやっぱりすごいですねー!
前には、出来なかったことも、半年、1年経つと驚くほどの成長を見せてくれます。

たとえば、稽古中は、なんだかダラダラとやっている感じで

つい、やる気あんのかーツと思ってしまいますが、


審査になると・・人が変わったように

ちゃんとやってくれたりします。

私たち大人に出来ることは、褒める種まきをして


ただただ子供たちが成長することを信じて

見守るだけ。

成長したと感じた、その瞬間に喜んで、

褒めてあげれば良いのではないでしょうか。

子育ては、自分育て。

氣ながーーーに、待ちましょう!!

と言っても、叱るときはきちんと叱りますけどね。







子供を伸ばす育て方を考える

おはようございます。

 

 

人は、成人してからもなお、

 

子供の頃にインプットされた事を

 

一つの型として、生きるようになります。

 

 

 

大人が使う言葉や目、表情、行動は

 

強くその子の一生に影響を及ぶすのです。

 

 

親御さんは、武道教室に

 

自分ができない「叱り」を求めます。

 

叱りによって、厳しく律したい、

 

礼儀正しい子に育てたい、との思いがあるからです。

 

 

しかし、叱りが単なる怒号に終わっているケースは

 

とても多いようです。

 

 

「叱られる」厳しさの前に

 

愛情が欠けていては、

 

子供にとっては「叱る」は単なる怒号でしか

 

ありません。

 

 

 

武道教室の先生には、自分が厳しく指導されたことを

 

一つの型として、子供を指導される方が多くいらっしゃいます。

 

 

しかし、長じて、叱られる想い出が=自分はダメな子、

 

という想いで自分を矮小化してしまう

 

ことが非常に多いのです。

 

 

甘やかすことと愛することは別のことです。

 

大いに我々指導者や親は、

 

気をつけなければいけないと思うのですが

 

いかがでしょうか?

 


男の子の育て方を考える

おはようございます。

 

この10数年、合気道に来られる男の子のお母さん方を見ていて

 

思うことがあります。

 

 

『あーー自分を大変にしちゃっているな――』

 

 

「男の子は大変」がママたちの合言葉です。

 

小さいうちは、じっとしていません。

 

とにかく動き回る。そのせいでヘトヘト。

 

 

そうして、とにかく自分の事が出来ない子が多い。

 

ママもパパも、ずーーーーっと手をかけすぎているんですね。


 

「片付けられない」と言っては、片付けを親がする。

 

「洗濯物をほおっりぱなし」と言っては、後始末。

 

 

それが、小学校へ入っても、中学校に入っても続くのですね。

 

 

男の子でもしっかりしている子もたまにいます。

 

そういう子を見て、「〇〇君はよう出来た子ね。それに比べて・・」

 

嘆くのですが、どうしたらそうなるのかがわからない。

 

 

 

出来た子は、ある意味、女性にとって理想の男性像

 

かもしれません。

 

 

では、ひるがえって我が子を考えてください。

 

この子が大きくなって自分のパートナーとなることを

 

想像してみてください。

 

 

我が子であれば、しょうがないと思ってもかわいいので

 

つい手が出てしまいますが、将来の自分のパートナーを

 

育てていると考えればどうでしょう?

 

 

男の子の育て方のポイントは、まずその辺りに

 

あると思うのですがいかがでしょうか?

 

 

それでは、今日も元気にまいりましょう!

 

 


学業向上のカギは〇〇

子供教育の目的は、

 

『世の中の為に役に立てる人間を育てる』

 

ことにあります。

 

 

そして、それを成就させるカギは

 

人格形成&学業の習得にあります。

 

両輪であり、どちらが欠けてもダメだと

 

ぼくは考えています。

 

 

 

さて、現在の日本は

 

長く経済低迷が続き、

 

明日への希望を失う人が増えている中で

 

 

どのように日本を立て直すか、という議論が

 

行われています。

 

 

しかし、そのどれもが経済論に終始しているかに

 

見受けられます。

 

 

日本を立て直すには、子供教育が最短で最優先すべき

 

ことです。

 

 

いつの時代も、社会を形成するのは

 

人間だからです。

 

 

さて、ではどのようにすれば

 

子供教育は成就するのか?

 

 

この問題を一緒に考えていきたいと

 

思います。

 

 

一回目の今回は、

 

やはり『姿勢』にあります。

 

心の姿勢は、身体の姿勢に現れます。

 

 

体の姿勢を整えることが

 

まず大切なのです。

 

 

姿勢を整える=筋肉バランスを整えるという

 

ことです。

 

 

姿勢が整うと、脳への血流、内臓への血流が

 

正常化し、結果、学力も向上するのです。

 

 

そして体が整うと精神も安定します。

 

 

ですから、昔の教育ではまず『姿勢を正せ』を

 

しつこく言われていたわけです。

 

 

現在、子供たちに姿勢を正せる大人が激減しています。

 

当の大人の姿勢が悪くなっているのですから当然です。

 

 

まずは、自分の姿勢をチェックし、

 

子供と一緒に姿勢を整える、ことを最初の一歩と

 

することを提案いたします。

 


 

子供への思い込みのタガをはずす

親バカというコトバがありますね。

客観的に観られない、という意味ですが

 

良く見るのならまだしも、

 

悪い方に思い込んでしまうのは

 

子供の持っている可能性の芽をつんでしまいかねません。



 この子は、ダメな子、悪い子、言う事をきかない子、

 

のように悪いレッテルをつけている親は、けっこう多いのです。

 

 

うかがってみると、

 

自分の親が褒めべた、だったことがわかります。

 

 

親は子供を信じて、昨日より今日少しでも出来たら

 

その瞬間を逃さずに褒めましょう。

 

 

すると子供は、親が自分を良く見ていてくれてる、と

 

親の愛情を感じ、親の言う事を聞くようになります。

 

 

親の注意を引こうとして、悪い事をしたり

 

言うことを聞かなかったのですから。

 

 

とにかく、褒める。

 

親が褒めずに、誰が褒めてくれるというのでしょう?

 

ま、ぼくは褒めますけどね。


 

毎日、一つでも二つでも、見つけてほめましょう。

 

するとね、親にとっても嬉しいことが起きるんですよ。

 

それは・・・やってみればわかります。

 

 

 

 

 

 

 

子供たちの行動にはこんな意味が・・

こんにちは。

 

子供達は、基本的に同様の強い欲求がありますが、

 

何か、わかりますか?

 

・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

 

・・・

 

それは、

 

自分を認めてほしい、

 

自分を愛してほしい、

 

そういう欲求です。

 

 

それは子供によって

 

異なる言動となって現れます。

 

 

先生(親)の言うことをわざと聞かずに

 

悪さをする子。

 

 

他の子のいけない処を告げ口する子。

 

 

得意なこと、出来るようになったことを

 

やたらと見せたがる子。

 

 

何かにつけ、おちゃらける子。

 

 

言動は、様々でも

 

その意図するところは同じです。

 

 

『自分のことをもっと見て!』

 

『ぼくはここにいるよ!』

 

ぼくのことを私のことをもっと愛して!という

 

欲求です。

 

 

これがわかると、子育て、子供教育は

 

とても楽なんです。

 

 

お家でも、親にやたらと甘えたがる時期が

 

あります。

 

 

それを忙しいからと相手をしなかったり、

 

テレビやゲームをさせて、自分の代わりを

 

させたりしていると、

 

後々、手痛い目に合うことになります。

 

 

 

何かと言えば、いつまでも甘えにくる。

 

それでも満たされずに時を経過すると

 

中学生、高校生になって手が付けられない状態になるのです。

 

 

赤ちゃんから幼児にかけては、

 

どんなに面倒くさくても、相手をしてあげることが大切です。

 

 

「でも、忙しいんですよ」

 

わかっていますよ。

 

年がら年中、相手をすることは出来ませんし、

 

時間も際限なく付き合うということも、また

 

出来ません。

 

 

ではどうしたら良いのでしょうか?

 

 

たった数分、数十分、最初に時間を告げて相手を

 

してあげるとよいのです。

 

 

「小さい時に時間なんてわからないじゃない。」

 

 

というのは思い込みで、何度も時計を見せながら

 

話をしていると、理解できるようになります。

 

 

短い時間でいいから、その時間を子供のためだけに

 

集中してみてください。

 

 

たった数年の間です。

 

おじいちゃんやおばあちゃん、夫婦、などの

 

協力でやれば、それほど大変ではないと思いますよ。

 

 

そうして、私どもような運動教室に入れると

 

体を動かすので、子供のストレスが解消されます。

 

 

子供は本来、身体を動かすことが大好きです。

 

普段は、あれしてはいけない、これしてはいけない、と

 

いけないづくしです。

 

 

私の運営する合気道教室は、メリハリをつけています。

 

遊ばせる時は、思い切り遊ばせる。

 

でも、合気道をやるときはしっかりとやる。

 

 

こうした処を上手く使ってみるのも手ですね。

 

そうして親自身のストレスもためないように

 

することが大切です。

 

 

親業にストレスがたまる一番の原因は、

 

親の言うことを子供が聞かないことですよね。

 

 

親が子供の先回りをして、しっかりと

 

子供に愛情を注ぐなら、子供は

 

気持ちが満たされるので、悪い事は

 

しなくなりますよ。

 

 

なるべく小さなうちに手をかける。

 

そうすれば、あとあと楽になるのです。

 

 

それが10歳、15歳と年齢がいけばいくほど

 

手遅れになります。

 

 

それでは、また!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帯が結べるように!! 

こんにちは!

 

うちの合気道教室に通われているお子さんは、

 

現在、下は5歳~上は10歳までです。

 

 

いまどき、和服を着るのは

 

大人でも浴衣くらいですよね。

 

 

当初、入室したての頃には、

 

道衣の帯が結べなくて当然です。

 

 

全員結べないので、当初は

 

こちらを結び終わったと思うと、

 

あちあらの帯がとれる、ということで

 

ちっとも前に進めません。

 

 

しかし、それをいとわずに、

 

むしろみんなが帯を結べるようになる良い機会と

 

とらえて、一人の帯がとれたのを見本にして、

 

みんなに帯の結び方を覚えさせていくのです。

 

 

 

すると中に、器用な子がいて

 

いち早く自分で結べるようになるんですね。

 

それをこちらは、すぐにほめてあげるのです。

 

 

本人はますます喜んで、自信を持つので

 

帯を結ぶことが楽しくなります。

 

 

そして周りの子もそれを見て、

 

自分も結べるようになりたい、と思うようにもなり、

 

 

自分にはできないと思っていた子も出来るかも、と

 

思えるようになるのです。

 

 

今回、誰よりも早く正確に結べているのは

 

驚くことに5歳の女の子です。

 

 

人には、それぞれ得意なことがあります。

 

ある男の子は、帯を結ぶのは苦手でも

 

受け身は得意です。それをほめてあげます。

 

 

またある子は、運動が苦手です。

 

でも統一道という静止している状態は

 

得意なのです。やはりほめてあげます。

 

 

このように人間は一人一人に個性があって

 

いずれも宝物なのです。

 

 

子育てしているとイライラされることも多いと思います。

 

それでも、その子の良いところを見つけて

 

ほめて伸ばしてあげてください。

 

 

最初は、出来ないのが当たり前です。

 

それでも、親が信じてあきらめずに付き合えば

 

必ずその子は光輝きだします。

 

 

ゆっくり、あわてずに一歩一歩、歩みましょう!